就職活動地獄変


2000年夏(3年)
そろそろ就職活動をしないと遅いとの情報を各方面で見かけ、一念発起してリクナビに登録してみる。しかしリクナビに登録しただけで妙に満足してしまい、その後は何もせず。

2000年秋
その頃手をかけてたPC出張サポートの仕事が妙に上手く行きだして、仕事なんてちょろいと間違った考えに至る。俺が就職活動したら、どこもすぐに内定出すだろみたいな(w

2000年冬
都会の学生は既にこの頃内定をもらうようだけど、周りの学生からそんな話を聞くことはなかった。鳥取って非常にのんびりしてるんだよね。良くも悪くも…。

2001年春(4年)
4年生になっても学校に就職活動の雰囲気はなく、自分もそれに染まってしまう。特に、変に仕事してたから、危機感も持てなかったんだよね。井の中の蛙大海を知らず(汗

2001年夏
ちょっと就職活動してみました的な学生も出始める。が、鳥取から企業受けに行くと交通費かかるとか、都市部の学生とのギャップで就職活動が嫌になるとかで、公務員でいいや、大学院でいいやとの発言が飛び交う。当然就職活動は盛り上がらない。で、自分はというと、そういうのをバカにしつつ、バカにすることで満足しちゃて何もしないという、一番バカになってました(汗

2001年秋
ぼちぼち卒論や卒業後のことを考え出す。その頃も仕事が好調で、このまま鳥取でPC触れてたら面白いだろうと思い、モラトリアム的に大学院進学をしようと決める。が、仕事に力を注ぎ過ぎて卒論は完璧にお留守になっていた…

2001年冬
現実逃避に2chし過ぎたせいで、卒論が絶望的に進んでないことを、正月になって初めて把握する。で、卒論を諦めてデータベース打ち込みの仕事を受注する。しかも大学から。どうなんだ鳥取大学…。しかしこれによって本格的に来年のことを考えなければならない状況に追い込まれ、やっと将来のことを真面目に考え始める。良い子のみんなはこんなことになる前に手を打っとこうね(爆

2002年春(休学)
社会に出て仕事をするにあたって、日本国内だけを考えてても仕方ないと思い、何を血迷ったかベトナムの貿易会社にインターンする。女性関係が破綻して国外逃亡を図ったとの説もあるけど、その頃フリーだったぞ、僕は。ちなみにエントリーシートの見栄えを良くしておこうという打算はありました(w

2002年夏
ベトナムは仕事だけに打ち込める環境で、非常に楽しかった。トラブルも多かったけど、そのぶん仕事の醍醐味も味わえたような気がする。この経験から、自分で商売の仕組みを作り上げる、総合商社の社員に憧れを感じ始めました。

2002年秋
就職活動を始めるために日本に帰国。と同時に3回目のリクナビ登録。3回目ともなると、やっぱりちょっと情けない思いもしたなー。就職活動だけをしているわけにもいかないので、グループウェア販売のベンチャー企業で契約社員として働いてみたりもしました。今は実質的に潰れちゃったけど、潰れる前の会社の雰囲気をリアルに感じれたのは、いい勉強になったかもしれないです。

2002年冬
学生イベントに参加したり、TOEIC受けてみたり(500点ぎりぎり)、まともな就職活動を始めてやってみる。都市部の学生は頑張ってるなーと実際に感じました。鳥取にいたままだったら、この雰囲気は分からなかったわけだから、就職活動を先延ばしにしたのは間違いじゃなかったかもしれないと、ちょっと安心。せっかくならレベルの高い経験をしたいもんね。

2003年春
いよいよ総合商社の新卒採用がスタート。業界研究、会社研究、OB訪問など、ベタなことは大体やりました。それに加えて、大学時代自分で仕事やってたり、ベトナムにインターンしてたことを前面に押し出せば、内定は取れるだろうと思ってたけど、甘かった…。書類選考や筆記試験は通るんだけど、面接で落ちまくり。面接慣れしてなくて、事前に想定してた以外の質問が来たときに素っ頓狂なことを言ってしまったり、緊張のあまり饒舌になり過ぎて落ち着きがなく見えたりしたのが原因と、今になって思う。素材はそれなり良いと(周りから言われてたし)思うんだけど、料理の仕方が悪いとどうにもならないんですね。総合商社しかないと思っていたので、モチベーションは底まで下がりました。半分鬱でしたね、僕は。

2003年夏-1
就職浪人するか悩んだけど、大学新卒だと入社時24歳がリミットだぞといろいろな人に言われ、就職だけのために浪人してたら間違いなく自分の能力や市場価値が下がると気づき、とりあえずどこかに入社しようと決意を新たにする。絶対社会人で時間を過ごした方が自分に成長があるだろうし、今は転職もそんなに珍しいことではないからね。もっとも、そんなことは絶対に面接では言ってはいけません。

2003年夏-2
総合商社のほかに面白い仕事ができそうなのはどこかと考えたときに、SI(システムインテグレーター)が候補に上がりました。僕は商売の仕組みを構築したい。→企業は生産性や営業力の向上のための仕組みを考える。→その仕組みを実現するためにIT投資を行うことが頻繁にある。→SE(システムズエンジニア)って仕事は良いかも。ということで、東京にベースキャンプを移し、SI企業を受けまくりました。そして幸運にも、早くから研修を行ってくれる商社系のSI企業から内々定をいただくことができました!

2003年夏-3
研修で友達もでき、来年の配属先も決まろうというときに事件が…。家族が巻き込まれた事件なので詳細は語らないが、これによって僕は九州に帰らなくてはならなくなりました。研修や配属面接をぶっ飛ばして。で、東京に戻れる見込みもそのときはなかったため、内々定も辞退させていただくことになりました。辛過ぎ。そういえば今年は厄年だったなぁ(死

2003年秋
事件については腕の良い弁護士を見つけられたおかげで、僕が動き回る必要が少なくなりました。この件によって、家族もいずれは頼れなくなる日が来ると痛感した僕は、九州で就職活動を再開しました。しかし、九州ではSI企業が少なかったために上京したのであり、しかも時期も進んでしまっていたため、新卒採用の企業や採用数はスズメの涙でした。ただ、ぼちぼち面接慣れもしてきて、経歴の見せ方も分かってきたので、3社目で内定を得ることができました。実は東京にいたときにも受けて、選考過程で蹴った会社だったんだけど、それはこの際気にしないということで。きっと縁ってのもあるからね☆

2003年冬(復学)
卒論や自動車学校や入社前研修のレポートに追われながらこの記事を書いているけど、それでも内定が取れる前の追い詰められように比べると、すごい楽。今だから就職活動について反省すると、第一志望の業界を受ける前に何社か受けるべきだったし、等身大の自分をもっと明確にしておくべきだったと思う。それらがなかったから、就職活動をイージーに考え過ぎたり、面接で緊張したり、自己アピールし過ぎて落ち着きを欠いて見られたのだろうと。まあ、終わり良ければだけどね。これから就職活動する人は、頑張って下さい♪(僕は卒論頑張らなくちゃ…。)


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